悪源太、頼政に突撃-ファンタジーな12世紀-
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平治の乱の帰趨を決める分岐点だったかもしれないのに、本当のところはどうだったかよく分からない頼政の動きと義平の突撃について。頼政と義平の部隊は平治の乱のときにどうやらぶつかったらしい。でもそれは義平の勇み足か、頼政の裏切りかはたまた最初から頼政は義朝の味方なんかじゃなかったのか。
この辺、関が原の戦い当たりだと小早川秀秋が裏切ったなんてのは間違いの無い事実として伝わっていますが、12世紀だとその程度のこともよく分からないということでしょうか。これがもっと新しい時代の話だと、新資料が見つかりました!!なんてこともあるでしょう。
例えば、辻原登『花はさくら木』。最近の歴史研究の成果を取り入れてある点が評価されいますが、アマゾンの感想でも色々と証拠を挙げて反論されている方がいらっしゃいます。
この点、12世紀だと証拠を挙げての反論も限界がありそうですから、私ら素人でも想像で色々語れて、そこがまた面白い時代と感じさせてくれるところです。
12世紀といえばお隣の中国では水滸伝の時代ですし、世紀末にはモンゴルが世界征服に向かって動きだしています。西では十字軍とアラブの戦いがあり(ちょうどサラディンの時代ですな)ましたし、ロビン・フッド(実在可能性は水滸伝の主人公、宋江以下ですが)もこの当時の人物です。洋の東西を問わず有名な英雄が勢ぞろいの時代でもあります。
源平の争いも藤原清衡が平泉に拠点を構えたのが11世紀の末ごろで、1106年に源義家が没。平忠盛が院の昇殿を許されたのが1121年、保元の乱が1156年、鎌倉幕府の成立が1192年ですからちょうど義家以降、だんだんと落ち目になっていく源氏がやがて逆転して平家を滅ぼすまでがちょうと12世紀の話ということになります。
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